トレーニングバイク

 2歳半になった3人めの孫が活発に動き回るようになり、買い与えていたKTMのトレーニングバイクにも乗れるようになりました。しかし、すぐ近くでの付き添いが欠かせません。
 気の向くままに右へ曲がったり左へ曲がったり、細い道へ入ったり。後ろから慌てて追いかけながら、まるで犬の散歩のようだなと苦笑するばかりです。ジイさんにとっては二度と戻らない貴重な時間の共有です。あっという間にこのバイクを卒業し、大きくなっていくのでしょう。
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よかった ホンダF1 13年ぶりの勝利

 本田宗一郎さんと初めて会ったというより、遭遇したのは48年も前のことだったでしょうか。駆け出しの編集者だった私は、当時、八重洲にあったホンダ本社の広報部に用があり、2階のロビーに向かう階段を上っていました。
 上から大きな声が聞こえてきました。"イヨッ" "イヨッ"と言っているようです。見上げると白い背広、先の尖った白い夏靴を履いたテキ屋のおっさんみたいな人(失礼 !! 好意を込めて)が、すごい勢いで下りてきたのです。"イヨッ"には手振りも加わっています。階段ですれ違った人たちへの挨拶だったのです。踊り場ですれ違った青二才の私にも本田さんは勢いよく左手を上げ、イヨッと挨拶をしてくれたのでした。
 疾風のように階段を下りていった本田さんを振り返り見下ろし、あの人が本田さんなのか・・・・と、しばし佇んだことを昨日のことのように覚えています。というのも子供の頃から自動車好きだった私にとって、「本田宗一郎」はヒーローの一人だったからです。
 本田さんの悲願はF1での勝利でした。それを成し遂げる様々な技術やスピリットは市販車開発にも活かされるというホンダ流技術開発によって、ホンダは2輪車メーカーから4輪車メーカーへと大きく飛躍していったのです。
 一時、常勝を誇ったホンダF1にも紆余曲折がありました。レッドブルと組んだ今年は起死回生の第5期といっていいかもしれません。9戦めのオーストリアGPで13年ぶりにようやく勝利を掴んだのです。「おめーら 随分遅かったじゃねえーか」 本田さんはべらんめーな口調で、エンジン開発部門に天国からそんな声を掛け、苦労を労ったのかもしれません。

f1 .jpgPhoto by Official Formula 1

4人めの孫

 次女が二人目の子供を出産しました。私にとって4人めの孫。妻と二人で出発した我が家も血のつながった者が6人にも増え、子供たちの配偶者の系統を加えれば、さらに多くなります。
 次男の私は生まれた家の傍流となりますが、先祖をたどれば、相当な数の私の知らない人たちに同じ血が流れていることでしょう。
 令和元年に生まれた孫。この先どんな世界が待ち、どんな人たちと出会い、どんな子孫を残していくのでしょうか。

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いずれ私の知らない世界で生きていく令和元年生まれと平成29年生まれ。

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文政7年、江戸時代に生まれた私から5代前の先祖。孫にもこの人の血が受け継がれているとおもうと、不思議な感慨にとらわれるのです。

久しぶりの散歩

 じめじめとした日が続き、家に戻ってから部屋にこもったままでした。見たい美術展が幾つかあったのですが、出かけるのが億劫になり、グズグズしているうちに会期が終わってしまいました。まさに引きこもり。これではいけないと、好天となった一日、石神井公園の先までのんびりと歩を進めました。
 木々の葉の緑が力強さを増し、蝉までも鳴き始めていました。青空の下はいいものだな~と、折り返し点を定めず進んだ結果、家に戻ったのは陽も傾く頃。梅雨の最中に夏のにおいを感じた一日となりました。

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散歩の足元はアマゾンで取り寄せたばかりの2900円のスニーカー。羽のように軽く、歩くのが楽しくなりました。「コスパ」満点

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夏近しと思わせながら、まだこの花の季節。

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木々の葉の緑が力強さを増しています。

ようやく花植え

 高原が緑に覆われ、鳥の囀りが絶え間なく森の中に響き、ようやく花を植える季節がやってきました。嬬恋のコメリで花やら腐葉土、肥料を買い込み、花植えを楽しみました。夏までには鉢から溢れんばかりに育ち、秋が来るまで目を楽しませてくれることでしょう。

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宿根草

 庭の宿根草が可憐な花を咲かせるようになりました。マイナス15℃にもなる厳しい冬を土の中でやり過ごし、生命を繋いでいたのです。植物の不思議ですね。
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レンゲツツジの季節

 以前は6月中旬が見ごろだったレンゲツツジですが、初旬だというのに散り始めています。季節の巡りはどんどん早まっているように感じます。蝉がうるさいくらいに鳴き始めました。
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自動ブレーキ車の導入

 高齢ドライバーによる事故が後を絶ちません。ステアリング操作の誤りによるものもあるのでしょうが、ブレーキミスによる事故の報道が目につきます。近くの山荘のEさんは自動ブレーキ(衝突被害軽減ブレーキ)付のクルマに乗り換えました。妻は「うちのクルマもそうしたら」といいます。娘も賛成だといいます。
 老人の範疇に入るといっても、それほど高齢とはいえない年齢ですから、電子制御の世話焼きに頼ることに忸怩たる思いがあります。しかし瞬時の視認能力などは若い頃に比べてずいぶん衰えていることを自覚しています。予防措置をとることも大切なことなのかなと、自動ブレーキ車を導入することにしました。

  2000年代初頭から、各メーカーやサプライヤーの開発段階の衝突被害軽減ブレーキを体験する機会が多くありました。前方検知方法には、遠方検知用のミリ波レーダー、形状認識用の単眼カメラ/ステレオカメラ、夜間用の赤外線レーザーレーダーが用いられています。自動車メーカーは部品のコストを勘案し、車両価格に合わせた最適な組み合わせを選択しています。
 検知方法の種類にかかわらず自動ブレーキに共通しているのは、「ドライバーに恐怖感を与える止まり方」をするということ。予め音声などで警告を与え、障害物の直前までブレーキを控え、いよいよとなったらドカンと急ブレーキをかけます。シートベルトが体に食い込むほどの減速Gが発生し、びっくりします。
 このような"味付け"は国土交通省の指針に基づいたものです。穏やかな制動を早めに行って安全に停止すると、ドライバーがそれに頼って、本来のブレーキ操作が疎かになってしまうからなのだということです。

 まあ、そんな安全装置の付いたクルマの導入を決定すると、家族は「これでひと安心」とほっとしているようですが、私のドライビングスキルがすっかり疑われているようで、複雑な気持ちを拭えないでいるのも事実なのです。
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妻のキルト展へ

 日本橋三越で開催されている「お江戸日本橋キルト展」へ。妻も数ヶ月かけて制作に励んでいた作品を展示しました。
 街中への外出は久しぶりのことでした。駅の構内や地下道では様々な人たちが様々な目的を持って、肩が触れあわんばかりに行き交っていました。雑踏を泳ぐすべなどもう忘れてしまって、右へ左へうろうろしながら、私はもうこのような社会の一員ではなくなってしまったのだなと、少しの寂しさにとらわれたのでした。
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今シーズン最後の山スキー

 11月末から始まった長いスキーシーズンの締めくくりとして、5月5日、乗鞍岳に登って痛快な滑降を楽しんできました。
 位ヶ原まで上る春山スキーバスの1便は、連休の最中とあって、5台。大勢の山スキーヤー、ボーダー、登山者が訪れていました。

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三本滝のバス停。始発便を待って長い行列ができていました。

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位ヶ原から登りが始まります。昨年よりずいぶん雪が多いようです。

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広大な斜面。登山ルートなどなく、おもいおもいの進路を採って、のんびりと頂を目指します。

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3000mの稜線に飛び出すと、右と左の景色が異なります。強い西風によって雪が吹き飛ばされています。

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3026mの頂。西方には御岳、東方には穂高連峰が望まれます。高気圧に覆われ、風もなく、ポカポカと暖かく、最良の日となりました。

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滑降したのは左側の谷。中央の谷は多くのスキーヤーが滑ったため荒れていたので、幸いなルート選択でした。

静かな10連休

 リタイアした身にとって、昨日も今日もさほどの変化もなく、時はゆったりと過ぎていくのですが、1年、あるいは2年という間隔となると小さくはない変化が周りに現れます。5月の連休には決まって訪れていた孫たちも、それぞれの予定があるような年齢に成長し、今年は妻と静かな滞在となりました。
 まだ気温が低い高原では、庭仕事をするには早く、時間を持て余してしまうのですが、たっぷりの時間を活用して、久しぶりに木工を楽しみました。作ったのは小さなテーブルと文庫本ラック。木と木の合わせ目は隙間だらけなのですが、遠目にはアンティーク家具のよう、と自画自賛しておきましょうか。
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嬬恋のコメリで購入した安い木材を使って、なんとかこんなカタチに・・・。

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ニスを塗るとアンティーク家具のような雰囲気に?? なかなか良い仕上がりではないかと、自画自賛。

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小さなテーブルは、テレビを見ながらパソコン、ビールを飲みながらテレビ、という「ながら机」。快適に夜を過ごせそうです。

月山 湯殿山で春山スキーを堪能

 天気予報が数日の好天を告げていたので月山へ。1日めは姥ケ岳から裏側へ滑り降り、湯殿山とのコル「装束場」から石跳沢を滑り、自然博物園まで。2日めは同じコースを途中まで滑り、「装束場」から湯殿山に登り、山頂から痛快な滑降を楽しみました。
 このコースの大きな特徴は楽をして沢山滑ることができるということ。クルマを停めた麓の志津から姥沢までは町営バス、姥沢からはスキーリフトとロープトウを乗り継ぎ、姥ケ岳山頂直下までというラクチンぶりです。湯殿山とのコルから湯殿山への標高差は150m程度。わずか30分の登りで山頂に到達し、そこから終点の自然博物園までの滑降標高差は約800m。
 初めて訪れたコースでしたが、これ以上に、登りの苦労がなく痛快な山スキーを楽しめるエリアを他に知りません。毎年、訪れることになりそうです。

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クルマを停めた志津の野営場駐車場。まだたっぷりの雪が残っています。

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志津野営場前の町営バス停。始発通過は9時35分。姥沢着が10時。リフトとロープトウがあるので、この時間でも十分、山々を巡る余裕があります。

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姥沢からリフトとロープトウを乗り継いで姥ケ岳山頂直下まで。価値ある580円と200円でした。

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姥ケ岳の山頂から望む月山。昨年より雪が多いようです。

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滑降した姥ケ岳の裏側の大斜面。

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姥ケ岳と湯殿山のコル「装束場」から見上げた湯殿山。

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「装束場」から見下ろした石跳沢。緩やかな沢をのんびりと滑降。

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滑降の終点、自然博物園。遠くに滑ってきた湯殿山が白く輝いています。

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温泉旅館にたった一人というのは侘しい感じがして、山形まで下りてビジネスホテル泊。

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2日めもリフトとロープトウのお世話に。まだこれだけの雪。

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湯殿山への登りと滑降のコース。コルから山頂までの標高差はわずか150m。

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湯殿山からの滑降コース。もう雪崩の心配もなく、ザラメ雪の滑降をおおいに堪能しまた。
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"中村画伯"の原画展へ

 「一歩二歩山歩」と題して全国の山々を巡る紀行を"みなみらんぼう"さんが読売新聞夕刊に連載していました。それが21年にも及び、昨年、惜しまれて終了しました。記事中の挿絵を担当していたのが古い山の仲間、中村みつを画伯。
 御徒町のモンベルサロンでそれらの原画を集めた個展が催され、古い山の友人たちが集まり旧交を温めました。もう高い山や雪山へは一緒に行けない年代に入ってしまいましたが、山の話に花を咲かせ、楽しいひと時を過ごしました。
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湯の丸山 山スキー

 例年は、このエリアでの山スキーシーズンは終わりを告げているのですが、気温の低い日が続いたせいか、湯の丸山はまだ冬の様相。観桜から一転して、山スキーを楽しんできました。
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二回目のお花見

 新元号が決まりました。野党の一部は"令"という文字に否定的で、さらには元号そのものを否定する党もあります。過去を振り返る時、「1989年から2018年時代」というより、「平成時代」と言ったほうが分かりやすいように、現在の元号はある時代を表す記号のようなものであり、まだ意味のあるものなのではないでしょうか。
 現政権の性格を考え、中国の古典から離れ、古事記から引くのではないかと予想していたのですが、万葉集でした。令和、出典も文字も良いものだと思います。
 "令和"を確認してから、川端の歩道をのんびりと歩き、石神井公園で二回目のお花見を楽しんできました。桜の木の下に佇むと、芭蕉の句とともに、"ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ"(願わくば 花の下にして春死なん その如月の望月の頃)という西行の歌も思い浮かびます。芭蕉の句は来し方を思ったもの、西行のそれはそう遠くはない先を思ったもの。
 私に残されている年月も、そう多くはないはずです。西行の願いと同じように、このような季節に終わりを迎えられたら、などと思うような年齢になってしまいました。
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観桜の季節

  "さまざまの事思ひ出す桜かな" 良く知られた芭蕉の句です。簡潔でありながら、桜の季節の全てを言い表しているようで、好きな句です。
 ようやく桜が花開きました。来し方の様々な事を思い出しながら、新宿御苑で「第1回目」のお花見を楽しみました。
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リーゼンスラローム大会

 昨年に続き悪天候で、中止にこそならなかったものの、レース距離は4分の1ほどに短縮され、あっという間のスプリントレースとなってしまいました。
 私の出走は70歳代クラスの男子6部。70名の中の30位と、定位置のような順位。圧巻は札幌オリンピックにも出場したアルペンレース界のかつてのスター、大杖正彦さんの1位となった滑り。同じ年代とは思えない次元の違うタイムに驚くばかりでした。

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昨年に続き、今年も悪天候。コース距離は4分の1に短縮され、うすばの壁の一枚バーンでの勝負でした。
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濃い霧と霙のため、旗門を確認するのがやっと。いささか腰が引けた情けない滑りになってしまいました。

自動運転に明るい未来はあるのか

 自動運転のための技術開発競争が進んでいます。ハードだけでなく、事故が起きた時の法的責任をどうするかも大きな課題です。運転者にあるのか、自動車メーカー、あるいは運転ソフト開発会社にあるのかということは、これまでもいろんな分野で意見が交わされてきたことです。
 今朝の新聞に自動運転についての興味深い論説が掲載されていました。筆者は大学教授。「危機が発生した際に車内の人間と車外にいる人間のどちらの生命、安全を優先させるかを選択するプログラムが搭載されなければならない」「この問いは功利主義倫理学の難問であり、確固たる正解があるわけではない」。技術の専門家ではないからこその視点で、きわめて重要な指摘だと思わされました。
 自動運転の危うさは、AIでは対処できない危機に陥りそうになった時、ドライバーに警報を与え、運転を自動から手動に切り替える時にも表れるはずです。リラックスしてぼんやりとテレビやスマホを見ていたドライバーに瞬時の対応などできるはずもありません。
 資本主義の論理の中で、自動車メーカー、サプライヤーは追われるように苛烈な競争にのめりこんでいますが、自動運転には、まだまだ解決しなければならない沢山の課題が残されています。
 政府はオリンピックまでに一部の自動運転を実現したいとの意向ですが、自動運転に明るい未来があるのか、私にはまだ分かりません。 

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ACCではない単なるクルーズコントロールがあるだけの私のクルマ。この装置でさえ使うことはほとんどありません。自動運転に明るい未来があるのでしょうか。

守門岳で山スキー

 守門岳の山スキーといえば大岳を指すくらい有名で、多くの人たちが訪れますが、大原スキー場から登る守門岳は訪れる人が少ないようです。理由は主稜線に出るまでに深い森があり、滑降に適していないことや、中間部に急な斜面があることなのかもしれません。
 しかし主稜線に飛び出すと素晴らしい景色が広がっていました。「雪の砂漠」と形容されてきた真っ白なたおやかな尾根が守門岳へと続き、歩を進めるたびに歓びが沸きあがってきました。
 5時間をかけて登った山頂からの展望は見事なものでした。「東洋一」と称される数十メートルも張り出した大岳の雪庇が目の先に連なり、遠くには朝日連峰、東南に目を転ずれば白く輝く浅草岳、後方には遠くの妙高連山も確認できました。良い日に山スキーを楽しめる幸せを感じた一日となりました。

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大原スキー場の除雪終了点から7時半にスタート。

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スキー場の中腹から望む守門岳(白く輝く左側のピーク) 。

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スキー場のトップから美しいブナの林の中を進みます。

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主稜線まではまだはるか。

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「雪の砂漠」と言われているたおやかな尾根を登ります。眼下に魚沼丘陵が広がっています。

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天と地の間で一休み。正面の尾根の先に守門岳。

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山頂間近。体力不足で5時間を要してしまいました。

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守門岳に連なる無名のピーク。1500mとは思えない高山の趣です。

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山頂から望む大岳。「東洋一」とうたわれる巨大な雪庇が張り出しています。

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東南には白く輝く浅草岳。この山も格好の山スキーのエリア。

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「雪の砂漠」をのんびりと滑降下山。
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浅間牧場でクロスカントリースキー

 天気予報は小雪になることを告げていたのですが、朝から青空がのぞいています。これは儲けものと、浅間牧場へ。遊歩道をのんびりと登り、雄大な浅間山の景色を楽しんできました。

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まだ雪が残っていた遊歩道。

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先週の降雪で冬の姿を取り戻した浅間山。

四阿山で山スキー

 高気圧に覆われ、風もなく、ポカポカと暖かく、これまでで最良の四阿山となりました。

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広い牧場に先行のスノーシューの踏み跡が続いています。

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2000mを超えると、先週降った雪で厳冬の様相に。

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山頂間近。

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稜線は雪庇が張り出し、高山の趣。

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2354mの山頂。

久しぶりに映画鑑賞

 話題となっている映画を2本続けて見てきました。一本は「グリーンブック」。もう一本は「運び屋」。グリーンブックはアカデミー賞作品賞を受賞した作品。「白人による白人のための人種的和解の幻想を描いた」と否定的な批評もありましたが、アメリカの人種間の問題を抉りながら、暖かくとらえたもの。運び屋は、老境に達してもなお制作意欲にあふれたクリント・イーストウッドの力作。
 良い映画は、感動し涙する心を人に呼び起こし、優しい気持ちを持つことの大切さを再認識させてくれますね。
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パルコール嬬恋でゲレンデスキー

 近くの山荘のOさんを誘ってパルコール嬬恋でゲレンデスキー。高気圧に覆われ、風もなく、寒くもなく、昨日降った新雪が適度に積もり、これ以上望むべくもない素晴らしいスキー日よりとなりました。

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71歳と70歳。

春の淡雪

 関東沖を強い南岸低気圧が通過すると嬬恋地域は必ず大雪になるのですが、今年は気温が高いせいなのか、霙になったり、雨になったり。3月5日の朝は春の淡雪。晩秋のような味気ない景色が一転して冬の様相に。季節を2度楽しんだような、愉快な気分です。
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湯ノ丸スキー場から池の平湿原へ

 毎年、何度も訪れる池の平湿原なのですが、違ったルートを試してみようと、湯ノ丸スキー場の下から歩き始め、三方ケ峰への登山道を登ってみました。スキーの跡はなかったのですが、スノーシューで踏み固められたしっかりした道があり、冬の人気のルートらしいことがわかりました。
 平日とあって人影はなし。静かなミニ山スキーを楽しんできました。

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スキー場から右手にそれると美しい林が広がっています。

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しばらく登って振り返ると烏帽子岳の先に後立山連峰が逆転層の雲の上に浮かんでいました。

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稜線間近。烏帽子岳、湯の丸山、角間山が望まれます。

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稜線に到達。今年も雪が少ない年でした。

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稜線から見下ろした池の平湿原。下りてみると木道が現れていました。
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草津でクロスカントリースキー

 草津にはゴルフ場を冬季活用した「音楽の森クロスカントリースキー場」という素晴らしいコースがありました。オリンピックやワールドカップで活躍した荻原兄弟が草津出身ということもあり、毎年ノルディックスキーフェスティバルがここで開催され、大勢の人たちが歩くスキーを楽しんできました。
 のんびり雪中散歩をしようと訪れ、ゴルフ場管理事務所に赴くと、「廃止になりました」という。アルペンスキー人口の減少が進んでいますが、ノルディックスキーを楽しむ人はそれ以上に減少しているようです。
 すごすごと引き上げる途中で一枚の看板が目に留まりました。「森の癒し歩道」とあります。その先に目をやると森の中へとスノーシューのトレースが続いています。入口は天狗山スキー場駐車場から100mほど下った所。「手ぶらで帰るよりは・・・」と入ってみると、素晴らしい雪中散歩のコースが深い森の中に伸びていたのです。

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癒しの森歩道の看板。

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快適な雪道が温泉街の裏の森の中に伸びていました。

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所々にこんなベンチが。本日の昼食は手作りのハムサンドのようなもの、コーラ、蜜柑。

栂池自然園から船越の頭へ

 いつもは自然園から白馬乗鞍岳へ登るのですが、違ったルートを偵察してみようと、自然園を横断して船越の頭方面へ。長い雪原歩きの先に待っていたのは群青色の空の下に広がる素晴らしい斜面でした。
 上部は凍結した急斜面となり、山頂まで標高差300mを残して撤退。3月中には時間の余裕をもって再訪したいエリアとなりました。

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雪に埋もれた栂池ヒュッテ。

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広大な栂池自然園の雪原を横断。

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白馬岳を正面に見て、ひたすら登ります。

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荒々しい様相の杓子岳の北面。

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稜線直下から流れ落ちた雪崩の末端。

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標高2400mm付近が本日の終点。
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軽井沢スノーパークでレースの練習

 月末の白馬でのレースに備えてせっせと練習です。午前は旋回しにくいR23のロシニョールで10本、午後は回りやすいR18のエランで10本。旋回しにくい板は高速に強く、回しやすい板は高速は苦手。どちらを本番に使うか、決めかねているところです。全ての性能を兼ね備えた板があればいいのですが。
 平日とあってレース練習バーンに人影はなし。私の占有のような贅沢な一日となりました。
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嬬恋エリアは異常な小雪。ゲレンデに雪はあるのですが、浅間山は4月の様相。

孫と雪遊び

 次女家族がやってきて、2歳を過ぎたばかりの孫と雪遊びを楽しみました。この年頃は成長が早く、1カ月も会わないうちに知能がどんどん発達しています。単語を覚える段階から2語文、3語文、そして4語文へと増え、少ないながら助詞も入るようになりました。記憶する意識などなくても、脳の構造が周りの人間がしゃべっている言葉をどんどん吸収するようになっているのでしょう。
 言葉を発するたびにメモ帳やスマホにメモをして、孫の言語発達記録を作っています。私の子供たちが幼い頃はそんな余裕などありませんでしたが、暇なジイさんにとっては大切な「仕事」になっています。雪遊びの3日間は格好の調査日にもなったのでした。
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テーブルウエアフェスティバルへ

 東京ドームで開催されていたテーブルウエアフェスティバルの最終日へ。特別企画としてドイツの窯元が一堂に会していました。マイセン、ローゼンタールなどの他に、あまり日本では知られていないフィルステンベルクなど10の窯元が美しい磁器を展示していました。
 欲しいものばかりだったのですが、「先が長くはないのに、これ以上増やしてどうするの」と妻は言います。なるほど、もうこんな磁器を使う食事は年に何度もありません。「もう面倒なメニューはいや」とも思っていたのかもしれません。
 テーブルコーディネートの応募受賞作品は洋から和へと傾向が変わり、美しいテーブルセッティングが目を楽しませてくれました。
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特別企画としてドイツから10の窯元が出展。

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応募受賞作品は洋から和へと傾向変化。