自動運転に明るい未来はあるのか

 自動運転のための技術開発競争が進んでいます。ハードだけでなく、事故が起きた時の法的責任をどうするかも大きな課題です。運転者にあるのか、自動車メーカー、あるいは運転ソフト開発会社にあるのかということは、これまでもいろんな分野で意見が交わされてきたことです。
 今朝の新聞に自動運転についての興味深い論説が掲載されていました。筆者は大学教授。「危機が発生した際に車内の人間と車外にいる人間のどちらの生命、安全を優先させるかを選択するプログラムが搭載されなければならない」「この問いは功利主義倫理学の難問であり、確固たる正解があるわけではない」。技術の専門家ではないからこその視点で、きわめて重要な指摘だと思わされました。
 自動運転の危うさは、AIでは対処できない危機に陥りそうになった時、ドライバーに警報を与え、運転を自動から手動に切り替える時にも表れるはずです。リラックスしてぼんやりとテレビやスマホを見ていたドライバーに瞬時の対応などできるはずもありません。
 資本主義の論理の中で、自動車メーカー、サプライヤーは追われるように苛烈な競争にのめりこんでいますが、自動運転には、まだまだ解決しなければならない沢山の課題が残されています。
 政府はオリンピックまでに一部の自動運転を実現したいとの意向ですが、自動運転に明るい未来があるのか、私にはまだ分かりません。 

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ACCではない単なるクルーズコントロールがあるだけの私のクルマ。この装置でさえ使うことはほとんどありません。自動運転に明るい未来があるのでしょうか。

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